株式会社スカラベ   阿部の日記
 
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   Diary 2007. 6
 
6月27日 (水)  遅い報告

遅い報告です。すいません
伊藤若冲を視てきた。「動植綵絵」は圧巻だった。
「かく生きよ!」と響きわたる世界があった。
繊細にして豪胆、生命の躍動が美しく輝かしい。鳳凰も鶏も、蛙やムカデ、トンボ。芍薬、バラ、虫に喰われた葉・・・すべてが生き貫いている

チケットを買うのに1時間、それから150分でやっと入場。およそ40から100分で視終わり。
そんなに待たされても「動植綵絵」の前にすべての不快・疲労が吹き飛ぶ・・・
老若男女、中年女性軍団、高校生・・日帰りで遠くから来た人たちを、出口で90分視つづけた。
誰もかもが「すっきり顔」で出てくる。
これは何でだろうか???

20年前には国民的大衆スターがいた。誰でもが好き嫌いはあっても知っていた「美空ひばり」「石原裕次郎」・・「実大にして虚輝く」社会


「虚大」にして、「実微小」の社会
///「ネット社会」で大量に出現した虚大社会。
そして
日々、子供たちは外遊びで人社会や自然現象に触れることを止めた。
日々、ゲームとテレビと携帯で眼差しは身長を超えることはない。

ネットで縛られた世界は、遠くも近くもいっしょこたで、現実の距離と違う。
目的物を追い求めてどこまでもいける。仮想と現実が入り混じる世界は「虚大・実微」の倒錯世界だ。日常の暮らしは、コンビニ、宅配に支えられてバーチャル社会だけで暮らすことさえも可能な現実がある。
通信距離は拡大、マイナーメジャーなスターがあちこちにいっぱいいる。限られた「小さな世界」だったものが通信距離の拡大によって結ばれ、その世界ではスターに。無数の瞬間スターが生まれてくる。

俺たちは、バーチャルが珍しいから・・そのように楽しむ・・
が・・バーチャル世界で育った子供らは・・抜け出せない・・・


生産の現場も「虚強実弱」
効率的に、大量生産、機械化、「標準化」、コストダウン・・生産は人の目手を離れる
自然との付き合いを否定して、季節外れの果樹や野菜を求める。狭苦しい折の中で鶏を工業化し、産む機械に見立てる傲慢さ。当然の生命力の激減による「サーズ」が出れば、渡り鳥のせいにして、何万羽の命ある鶏たちは根こそぎ生き埋め。BSEの牛たちも本来の食を与えられず、免疫を殺ぐ暮らしの中で生きたまま大量殺傷された。
食の現場を見渡せば、言いたい放題の無菌管理=衛生管理のルールの坩堝。
「菌は生命の基本を支えているものだから、菌を殺すのはすべての命を大切にできない仕業」となぜ言わない!!

「虚」栄えて「実」苦しむ・・作る現場は、天候・相場に振り回されるが、売る現場は世界中から安く、大量に買うことで利のみを追求する。
生産現場が泣き悲しむ・・農業、漁業、酪農、林業・・
都市が田舎を、先進国が後進国を・・・虚大社会つくりに巻き込み実を破壊・壊滅させている・・・本来の暮らし・労働の現場は虚大つくりの道具に仕立てられる・・・
「末端の現場」が働けど働けど苦しむ・・「末端」という表現も変だ。
「中心」とか「根底」とか「第一線」とかと据え呼ぶべきだ。
第一線が頑張り甲斐のある仕組みにしないといけない。

40年かけて育てた杉の山・5万5千平米の売値が75万円(一本1300円)・・30年前の10分の1の価格
国土の70%を占める森林、山村人口はわずか4%・・・きちんと手が入らない・・
山林は多種な生命を生み育てる生き物の宝庫
水を貯えろ過し、平地の植物を育てる。



消費者よりも生活者だろう!
われわれは、消費者という経済活動の道具になっている
消費させる、消費させられることで成立する「経済成長」
環境や宇宙にとっての是非を問うことが、すべての大元であるが、目先の利害が最優先する社会を、われわれは作り出し、つきしたがっている
そこに浸っている・・浸り続けている・・・
消費ではなく
大局に立った生産から使用、再生産のめぐりを見据えた生活行動に照らして決めること!!


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